スーパースターだったミスタープロ野球こと、長嶋さんを偲ぶ記事…その②
こんにちは🌞 茨城県は龍ヶ崎市佐貫町の警備会社。いつも元気な 「BN3」 です🚀
その昔は現在のJRが国鉄と呼ばれる、国の運営機関だったもんで 「国鉄スワローズ」 という名の、プロ野球チームが存在して居ました1950年のことですから、今から75年も前の話しですけど🤪 今年の2月に亡くなった 「つば九郎」 で有名な、ヤクルトスワローズの前身です。
当然そのチームは国鉄の選手で構成されて居ました⚾ 余裕のある時代だったんですねぇ。その国鉄スワローズには金田正一と言う、不世出の400勝投手が居たのです‼️ 400勝ですよ~途轍もない勝ち星じゃないですか。
その金田投手は長嶋さんが初めて対峙した時に、いかに東京六大学のホームラン記録を持ち、鳴り物入りでプロ入りした 「神宮のスター」 長嶋さんでも、当時は 「国鉄の天皇」 と呼ばれた金田投手が完膚なきまでに、4打席4三振で打ち取ったことは、あまりにも有名な話しですよね。
この逸話は1958年4月5日で、前回のブログに書いた天覧試合の1年前でした。写真は金田バーサス長嶋の一騎打ち⚔️ この時すでに国鉄スワローズで8年間の経験で、182勝を上げていたエース金田に対し、立教大学から巨人へ入団したゴールデンルーキー長嶋さん。
この世紀の対決は前評判も高く4万人という大観衆の中で行われましたが、結果は貫禄勝ちと言うか長嶋さんの4三振で終わりました😭 この後世にも語り継がれる勝負、4打席4三振という初の勝負でしたけど、金田投手は言う 「最初は4三振でも長嶋はさすがに強烈だった❗ その後は長嶋をどう抑えるかコッチも必死だったよ」 と。
長嶋さんにとっては鮮やかなデビュー✨ というワケには行かなかったものの、大物の金田投手を恐れず、思いっ切りバットを振って向かう姿は 「大器・長嶋」 を、逆に印象づけたとも言われています。ところが、この大器はタダの大器にあらず…
とんでもない素質を持ち日本のプロ野球を、そしてまた圧倒的多くの国民に姿と行動と言動で、深く深く印象づけて行くのでした正に長嶋マジック🪄
どれもこれも有名な事柄ですから私がブログに書かなくても、皆さんご承知の内容ばかりだとは思いますが、やはり偉大なるスーパースターの足跡なので、繰り返しても繰り返してもバチは当たらないだろうと思います🤣
この次は信じられない出来事や、クスリと笑えるエピソートなどを取り上げてみたいと思います。次のブログにもテンコ盛りで披露します😁
予告として 「THE」 は英語で ザ と読みますが、長嶋流はこれを 「テヘ」 と読むんですぞ🤣
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