午後から孫と一緒に、ヒョウモントカゲモドキ(レオパ)の床替えです🦎
こんにちは🌞 茨城県は龍ヶ崎市佐貫町の警備会社。いつも元気な 「BN3」 です🚀
今日は5月5日こどもの日です。もう私たちの子どもも50歳を数える年になり、孫も中学 高校と大人になっているので、10年も前から比べればスッカリ、こどもの日は遠いモノなりました。 それでも道を歩く幼い子どもたちの姿に、つい頬の肉が緩んでしまうと言うものです。
4月1日時点での総務省の調べでは、15歳未満の子どもの数が、前年よりも33万人も 少ない、1401万人で43年間も連続で減少した🐣 と発表しています。総人口に占める 割合も前年比で0、2ポイント減の11,3%で、なんと50年連続の減少だったことが判明しました。
いずれも比較可能な統計が残る、1950年以降の過去最低を更新して、1975年 には2723万人で、24,3%を占めていた子どもの数は…50年間で半減した❗ しかも子どもたちの年齢的な内容は、女子が683万人で男子は718万人、ところが中学生 に当たる12歳~14歳までは、317万人だが、0歳~2歳までだと235万人と、年齢が下がるほどに少なくなっている。
これが今の時代の現実ですが、ここからナニが見えて来るかと言えば、日本社会の将来の不安でしょう。生産力の主体となる若い人たちの、確保が出来なくなって、国力が減衰する姿が想像できます🤔 私は団塊の世代でも、最後の年に当たる1949年の生まれ。
もの凄い数の子どもたちが町中に溢れて居ました🎏 私の中学校は二つの小学校が合わされた、マンモス中学でしたけど ナント、ひとクラスに73人~74人の振り分けられ、学年で13クラスも有りましたから、1学年でおよそ1000人、学校全体で3000人という👀 今では考えられない時代でした。卒業アルバムを開くとタマゲテしまうほどです。
なので当時は中学卒業と同時に、就職する人たちの割合が私も含めて多く、高校へ進学 する子どもたちは半分に満たない時代、それほど日本は貧しかった時代ですが、就職列車という臨時仕立ての 「汽車」 も有り、中学を卒業したての丸刈り頭の子どもたちが、見ず知らずの東京へ、続々と運ばれて行ったものでした。
その後の国力の発展は目を見張るモノが有り、世界トップレベルの経済力を持った時期も ありました。しかし今は見る影もない状態ですし、この人口減が続くと先行きどうなるか❓ 誠におぼつかない現状です。少子高齢が極まると、日本社会の破綻も見えて来ますけど、そうならない様に努力しなければなりません。
今を考えることは非常に大切ですが、同時に将来のことも考えながら、経済のことや子ども たちのこと、そして環境を含む社会のことを考えねばと、叶わないまでも思う昨今です🥺
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