極めて過酷な状況の中で、ひと筋の光が差した赤ちゃん誕生
こんにちは🌞 龍ヶ崎市佐貫町の警備会社。いつも元気な 「BN3」 です🚀
令和6年(2024年)能登半島地震で、甚大な被災地域の捜索は遅々として進まず、死者が100人を超えたニュースが本日入る。本当に気の毒なことだし、いまだに行方不明者が多数いるという情報で、今後の被害者が増えるとの観測もあります。捜索も土砂崩れや、電線の断線や、液状化現象など、行く手を阻む障害が酷くて、ままならない実情にある。
被災して避難している人たちに、今度は大雨と雪の追い打ちが、天気予報で伝えられています。何という仕打ちでしょうか、神も仏もない現実は極めて過酷です。多くの物資が全国から届きましたが、それを被災者に届ける手段が無いとか、あるいは小さな子どもや赤ちゃんに、必要な物資が少ないという情報も。
また、アレルギーを持つ幼子を含めた人たちへは、限られた量しか確保できてないとか、こうした甚大な地震被害は、思いもしない状況が出現するために、万全な対策を取るのは難しいことです。そうした中で地震の翌日に誕生した赤ちゃん❗ のニュースが取り上げられました。
「10分 おきに痛みがある」 と、出産のために七尾市の隣の志賀町へ、帰省していた妊娠39週を迎えて居た35歳の女性。病院への電話が入ったのは、地震発生から2時間を過ぎた午後6時半ころ、緊急搬送を要請するよう求めたが、消防署は救命活動で対応が困難でした。
津波警報の発令中でもあり、受け入れ可能な医療機関が有る、金沢市へ誘導しても、無事に到着できる保証は無い。そんな状況の中で、病院以外での出産は危険がある❌ と判断した隣の七尾市にある、恵寿総合病院は 「助けられるのはこの病院だけだ」 と受け入れを決めた。道路の陥没や、通行止めなどの障害がある中で、家族の運転で病院に到着したのは、約1時間後の午後7時半。
病院は停電も無く地下水の、ろ過システムが稼働しており、断水も 無かったことが幸いしたようです。産科病棟は水漏れなどで分娩できなかったが、別棟の手術室を代用して、帝王切開をも念頭に、他の診療科のスタッフも協力してくれたと。スタッフ自身も皆んなが被災者です😰 それでも全員が頑張ろう❗
と声を掛け合った結果、翌日の1月2日午前2時05分に、31 30㌘の元気な女の子が生まれました。母親となった女性は 「こんな時でも生まれることが出来るんだね」 と、命の誕生に深く感動していたと言います💗
出産を担当した医師は 「スタッフが集まり、救命するという体制は平時から同じ。どんなところにも必ず妊婦とお産があるという、平時からの取り組みが報われた」 と、赤ちゃんを取り上げられたことに、なによりも安心したそうです。その思いは羽田空港で367名の命を救った、クルーたちの思いと同じものですね。
失われた多くの命もありましたが、恐ろしい災害の中にも誕生した命もあった。この子が 健やかに育って行くことを、願ってやみません。
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