良く言われる 「親ガチャ」 について
こんにちは🌞 龍ヶ崎市佐貫町の警備会社。いつも元気な 「BN3」 です🚀
否定的な意味合いを持つ 「親ガチャ」 という言葉。生まれ持った容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右される。そういう認識に立って、「生まれて来る子どもは親を選べない」 に例えている。つまり 「親ガチャ」 は生まれた 「ベース」 で、人生の結果が決まってしまう。 というニュアンスが強いため、この言葉自体に対する反発も多いと聞きます。
真っ向から反対意見を言うのが、生き方として私の好きな梅沢富雄です。彼は地方回りの劇団に生まれ育ったため、小学校も満足に行けなかった。それどころか、巡業の繰り返しなので、教科書も無ければノートも満足に無かった。その幼少時代を振り返り、貧乏な家に生まれようと、金持ちの家に生まれようと、「人生を決めるのは子ども自身だ」 と。その親ガチャに対して、強烈な不快感を示します。
私も振り返ってみれば、新潟市内ではあるものの 「貧乏長屋」 の生まれ。6畳と4畳半の住まいの二階建ての木造長屋。そこに、なんと三家族が住んで居ました。両親とバアちゃんと私たち兄弟の5人家族が、トイレと狭い台所の付いた一階に。
そして二階には当然トイレも無く台所のみ、6畳の間には従兄の兄妹と母親の三人が、4畳半の方には従弟の兄妹と母親の三人。つまり、6畳と4畳半という間取りの、二階建て長屋には三世帯で、11人も住んで居たのですぞ。
もちろん今では考えられない状況です。その頃は水道も無いので、路地の中ほどに 「共同水道」 というものが引かれて、そこで家庭に必要な水をバケツに汲んで、家の中に置いてある大きな甕に溜めて、一家の炊事や洗濯に使って居ました。文字どおりの井戸端会議も行われてました。「共同便所」 まで存在していた時代です。
二階の家族は更に上までバケツで運ぶことになります。どうですか想像しても不便この上ないでしょう😵💫 それでも誰も文句を言わず、そこそこ 「幸せ❓」 に暮らして居ました。団塊の世代である私の周りには、似たような境遇の人たちで、溢れ返って居たのです。生きるために必死。愚痴など言ってる場合じゃ有りません。
ひたすら家の手伝いやら、小学生なのにアルバイト (この頃は 「新聞少年」 が居ました) や、食べ物さがしに明け暮れた毎日。それこそ 「グレる」 ヒマなども有りません。貧乏だったけど、皆んなが助け合いながら暮らして居た時代は、今みたいに子どもが少なく、大切にされながら、豊かで自由に、生きて行けた、ワケじゃ有りませんから。
しかし、それなりに 「家族のため」 に何が出来るかを、子どもなりに考えて居たの だと思います。 親ガチャどころじゃ有りません。食べるため生きるために必死だったのです😰 そういう意味合いからも、今の時代の子どもたちの 「幸せ」 って、何をどの様に感じているんだろうかと。孫たちの姿を見ながらも、ついつい思ってしまいますもんねぇ。
今現在は警備員として会社から、働きの対価としての賃金をいただき、年金生活者としては余裕を持って、暮らすことが出来ています。そうした現実は60年以上も前の社会と、雲泥の差が有る社会になったものの、歳を取ってからも仕事の出来る、その喜びと有り難さを感じるとともに、親ガチャなんて甘えてるんじゃねぇよ❗ と、人生は自分で切り拓くもんだ。と言いたいところです😊
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